またノーマスク集会をしてるのを見て、「生物の授業から、やり直すことをお勧めします。本気で、小学生でも解ることが解らなくなってる。」と言われたことを思い出した。
だが、小学校で教わったことのうち、どのくらいが、今でも十分正しく、補足や注釈、条件、あるいは例外規則の設定等なく、問題なく受け入れて運用して良い知識なんだろうか。英語や「国語(マジこの言葉嫌い)」も、たとえばChomsky(言語学者)勉強してる人連れてきたら、ほぼ根底から書き変わる。漢字ですら異字体の説明されたおぼえないし、算数はほぼ全部公理系(ごめんね、詳しくない)によるよね? 遺伝ってメンデルくらいなら小学校だっけ? 多分高校教科書レベルでも、少なくともわたしが使ってた頃のは、結構今のわたしの知識で補足しなきゃいけないと思う。ちょこっと公民や経済みたいなことやった気もするけど、あれは中学かな? 特に前者について、今はめちゃくちゃ文句言いたくなるだろうな、わたし。
「小学校の知識が無駄」とかそういう話ではない。勿論有益な事もある。ただ、たとえ研究が進んだとか、そもそもクソみたいな記述のされ方や「標準化」がされていたとかでなくても、当然のように(そしてそれは必要だけど)たくさん省いてたくさん誤魔化して説明してることはある。なにが「英語と日本語の違いは単に外在化のプロセスによってうまれた差異にすぎません!(Chomsky.(2019.)UCLA Lecturesなど)」で、なにが「コロナは視聴率を伸ばすための陰謀です」なのかを判断するのは、とても難しい。
冒頭の発言は、「性別」の話題で出てきた発言なのだが、小学校の教科書には、もしかしたらalloシスヘテロの「女」と「男」しか想定されていない記述があったかもしれない。だが、それが「正しい」か「誤っている」かは、真剣に考え続けなければいけないし、簡単に答えが出せるものでもないだろう。それは『トートラ』(解剖学の専門書)に同じような記述があったとしても。
Chomskyの『アナキズム論(On Anarchism)』に、好きな箇所がある。体制に迎合する主張をするのは、簡単だ。CMとCMの合間に、十分伝えられる。多少雑でも、すでに受け入れられている知識と整合がつく以上、肯定的に補足される。一方、体制に歯向かう主張はエビデンスを求められる。緻密な論証を求められる。それを提示するのには時間と労力が不可欠になってしまう。
セックスが常にジェンダーであること(Butler『ジェンダー・トラブル』など)は、数ページのWikipediaだけでは説得しきれない。だからあんな難しい本があるわけで。一方、「セックス/ジェンダー二元論」は、小学校の教科書に載せられ、メディアで繰り返される。「簡単」だから。だから、往々にして、繰り返されるのは「わかりやすい」記述、納得しやすい記述のみ。それを否定するためには膨大な論証が多くの場合必要。それは通勤中の電車の中では読めない。だから、「簡単」で「わかりやすい」説明は延々と繰り返されていく。そして、実践されていく。
では、なぜそれは「簡単」で「わかりやすい」のか。それはわたしたちの知っている他のことと整合がつけやすいから、それを反証しなくてもいいから。では、なぜわたしたちはそれを知っているのか。それが、支配的なイデオロギーだから。「わかりやすさ」とは、権力それ自体であり、「わかりやすい説明」は、それの再生産行為にすぎない。
ではなぜわたしはマスクをしているのだろうか。
「非常識」と「新しい知識」を区別するのは難しい。わたしがコロナ陰謀論の「論文」を送られても読まないように、ChomskyやButlerを送られても読まない/読めない人がいるのはわかる。そもそも、これに反する記述が世界に溢れる以上、見つけられない人もいるのはわかる。だから、「ワクチンにマイクロチップ入ってるわけあるかよwww」と思うように、「ノンバイナリーの身体ってなんだよwww」と思い続けたまま、それを繰り返してしまう人がいるのもわからないわけではない。そして、その両者の違いを問いただされたとき、わたしがなんと答えれば良いのか、わからなくなるときがある。勿論、マスクの有用性についてのデータも論文も示せる。それは、でも、わたしが受けてきた「常識」の波を再生産しているだけでないのか、不安になる時もある。「身体性別」がうんたらと言ってる人たちとやっていることがどれほど違うのか、わからなくなるときもある。
わたしにわかるのは、わたしなりに勉強して正しいと思えることと、どうであってほしいかだけしかない。その区別がつかないときもあるし、お互いに形成しあってるとも思う。それも良いことなのかわからないけども。わたしができるのは、自らを疑い続けながらも、自分の思う正しい行為を繰り返すことだけなんだろうけど、それも駅前のノーマスク集会と同じに見えちゃってるのだろうか。
それでも、マスクはしようね。ノンバイナリーの身体はノンバイナリーの身体だよ。少なくともわたしはそう考えている。