「性別の基準は性染色体」言ってる人たちに対して、わたしは「あなたの考える『基準』は、性染色体に関する知識が一般に浸透する前後では変化してますよね」と思うけど、あの人たちからすれば、同じセックスという「真理」が基準で、それをより正確に表せるようになっただけ、となるのだろう。セックスは普遍的で固定的で、超越的な「真理」たる基準であるという考えで、技術や時代が進歩しても、ただその定点へ近づいていってるだけと解釈される。そして都合の悪い話は「例外」と処理し、独自の理由で受け入れるか、棄却しsexの普遍性を優先する。いくら矛盾を説明しても、いくらその理解が「生物学」的におかしいとか非論理的だとか社会の実態を反映してないとか言っても、こうやって最終的にはsexの普遍性の証拠として再解釈されていき、挙げ句にはこっちが「カルト」で「お気持ち」で「事実を無視」してて「非科学的」と拒否される。それでミスジェンし、一部の女性を「例外」にし、「女性スペース」を「TRA側陣営」や「TGismカルト」から守るだとか、ペニスのあるレズビアンやペニスのある女性を受け入れるレズビアンは「真のレズビアン」でないだとか言い始める。いくら実態に即してなくてもセックスは普遍的であると信じて疑えないから。
どうすりゃいいのかわからん。こういう考えのひとは放置して、コミュニティ内で頑張ってけばいい、って言いたいとこだけど、トランスやクィアの子の担任や友人、おやのひとやかぞくもいるだろうに。その人たちのせいで、深い傷を負ったり、ここにはもういなくなってしまった人たちも、いるだろうに。
セックスは普遍的な定点じゃないよ。元来よりジェンダーに影響されるものだし、社会の共有知識や技術によって身体の理解は変化し、医療の進展によって身体それ自体も予想できなかった変化をさせることができるようになった。
セックスも、なにがセックスかすらも、変化しつづけている。もとから定点じゃない以上、こっちが変更しようとしてるとされる「定義」など、少なくとも明文的には存在しないし、「定義」などし得ない。現状のごちゃっとした理解の不十分な「説明」はできる。でも、その説明も、それの語られる時代や社会に意味は依存する以上、決して普遍たり得ない。結局、やってるのはセックスを絶対的なものであるとすることて世界を単純化してるだけ。それは、ぐちゃぐちゃとし不安と抑圧と暴力にあふれた世界を説明するための、そこでつかの間の安全を得るための、戦略なのかもしれないけれど、問題をごまかしているだけでしかないし、なんの解決でもない。全然「ラディカル」でもなんでもない。