触れれば幸せになれる炎があるらしいと知ったのは中学生の頃で、わたしはそれ以降、なんとなくではあるが、それを求めて続けていた。事実その暖かさを頬に感じたこともあれば、その冷たさに震えている気がするときもあった。一度だけその炎を目にしたことがある。それは明るかった。あまりに明るすぎて、手を伸ばすのをためらった。わたしはそれに水をかけ、すべてを忘れたことにした。
今、それから遠く離れた今、あのとき手を伸ばさなかったことを後悔する。それともこれは後悔などではなく、高見の見物なのかもしれない。
あの炎を思う。無限に存在する世界のいくつに、焼けた手をあの人とつないで笑っていた自分がいるのだろうか。