「#おしっこもれる」というハッシュタグについて。元々は、「『トイレに行く』とか言う女は下品、せめて『お手洗い』と言え」みたいな話があったので、それへのカウンターとしてはじまった。そのうち、おしっこについて話すことの忌避感への対抗とか、誰でもしたいときに安全におしっこできるトイレをとか、いろんなものを込めたスローガンになった。
排泄は下品でもない、汚くもない。それは日常的な行動の一部であり、必要な行為の一つ。わたし自身外のトイレを使うのが苦手なのだが、トイレが近くて、外で映画観るの躊躇うレベルにも関わらず、お水飲むのを減らすみたいなことしてた。今の環境は少しマシになったのだけれども、そういう話題を忌避すべきもの、「汚い話」とすること、「ただの笑い話」で済まそうとすることは、問題だ。
IBSの話などもわたしのタイムラインなら普通に出てくることも多いけれども、やはり忌避すべきものとして現れることも少なくない。排泄以外もそう。汗も、生理も、成人のオムツ使用、ライナーやタンポン、あるいは例えば胸やペニス、クリトリスや膣を含む身体の話もそう。自慰やセックスの話もそう。体毛もそう。状況を問わず、笑いや性のネタにされることがある。タンポンの話をしたら、「興奮する」という旨のリプをもらったフォロワーもいる。そういうのを、問題だとわたしは言ってる。これらはただの普通の話のなのに。
下着を汚すこと、汚しそうになることは、常に「汚い話」じゃない。「笑い話」でもない。「ドキッとする話」でもない。それはただ、社会的な不平等の反映に過ぎない。
同時に、これは状況に応じて日常的な行為が「汚い話」や「笑い話」や「ドキッとする話」であることと矛盾しない。問題なのは、それがデフォルトであること。たしかに面白おかしく「#おしっこもれる」と書いてる時もあるし、書いてる人もいる。わたしもそう。だが、同時にこのハッシュタグ使ってる人の多くは、なんらかの理由により、安全にないしは安心して排泄することに困っている。それを小さな声で主張するハッシュタグがこれ。だから、次にこれを見た時、笑いながらでも構わないから、排泄やそれ以外に困る人たちのことを、どうか考えて欲しい。
んじゃ、エネドリ飲みすぎたので今日はこの辺で。
#おしっこもれる