「ツイッター以外でなんか活動してんの?」とか「矢面に立たずに済む特権」とかいう人。「現場に来てみろ」とか言う人へ。
悪かったな、うつ病で。カムアウトできてなくて。
クィアであるということは、日々マイクロだったりマクロだったりするアグレッションに立ち向かい続けているということ。世界は「普通らしさ」のロジックに支配され、そうでない人々を抹殺、あるいは同化しようとしている。その中で、凛として抗い続けているということ。
クィアであるだけで、あなたは活動している。それが職場の会議室だろうと、学校の廊下だろうと、「家族」のいるコタツの中だろうと、布団の中であろうと、あなたは蜂起している。あなたは矢を全身に受けながら、なお、クィアとして、あなたとして生きている。
「現場」。まるで日常の中で受ける攻撃は尺たるものでないかのような言い草。差別はわかりやすい暴言や投石にしか無いような言い草。違う。差別とは我々を縛り、我々を嘲笑う「構造」の中に偏在するもの。それを破壊することこそが「ハンサベツ」であるはず。戦いの目的はなんなのか、それを忘れるな。